チリ積もる愛 ともなう
投句された中より、きらりと光る佳句を紹介して参ります。
お題の上の句と並べます。
三年経ったら
チリ積もる愛
たくさん投稿いただいている、ともなうさん。
いつも、ありがとうございます。
句作・詩作において、同じ兼題でたくさん詠むことは、あまり良しとされません。推敲と思案を重ねて、一句入魂。それが良しとされます。
私もかつてそのように思っていた時期もありましたが今は少し違います。「数打ちゃ当たる」はあまり良い印象の言葉ではありませんが、積もる言葉の中に砂金があると感じるようになりました。
「数打ちゃ当たる」ではなく「言葉を尽くす」そもそも本当に良い詩、良い言葉というものは考えて出すものではありません。歌っていたら、ふっと良い言葉が出てくる。降ってくる。
本当に良いものは、そのようなものだと思っています。
皆さんも、たくさん言葉を投げかけてみてください。歌い続けてください。きっと良い言葉が出てくる時があります。普段の素振りがホームランを生み出すように、いつも振ってないとなかなか打てません。練習無しで、いきなりバッターボックスに立って結果を出すのは、真の天才か、それこそ、まぐれしかありません。
積み重ねる三振は、次のヒット、ホームランのため。常に素振りをすること、いつも打席に入る意味は、必ずあります。
今回のともなうさんの
チリ積もる愛
私にはホームランです。
チリをカタカナにしたところが効いていますね。「散り積もる愛」でも成立する詩なのですが、チリとカタカナにしたところで、「塵(ちり)」の意味も纏います。このことが、俳句でいう「俳味」を醸し出しています。
最初は塵のようだった何でもない思いも、3年も積もれば愛になっていた。