投句された中より、きらりと光る佳句を紹介して参ります。
ぼんやりしているだけです 彩瀬
お題の上の句と並べます。
見かけによらずこう見えて
ぼんやりしているだけです
今回は、蝶花楼桃花師匠から。ちなみに「ちょうかろう」と変換したら超過労と出てきました。桃花師匠、どうか無理はなさらず。(恐らく、桃花師匠のあるある定番ネタかと存じますが)同音異義語(駄洒落)は、詩の一番簡単な作り方。関係ないと思われていた、ふたつが、いきなり結ばれる必殺技です。
お題ゲストさんは落語家の皆さんが多いこともあり、公式Xで毎月実施しているライトハイクの言葉のあやとり(上の句をお題として、下の句を結んでもらう)公募は、「大喜利」と感じることがあると思います。それはまさにそのとおりで、弊会は「大喜利」も、日本の和歌の文化から来ている(その発展形)と捉えています。
誰かが言葉を発し、それに誰かが応える。まず言葉があり、そこに自分の言葉を結ぶ。
日本の詩歌の歴史では、日本最初の「和歌」は、古事記に記載のある、須佐之男命(スサノオノミコト)が詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」とされています。あくまで、記録に残っている、57577(短歌)としての最も古い和歌がこの歌ということです。それから、日本最初の「連歌」というのも、これも古事記に記載がある、倭建命(やまとたけるのみこと)の
新治(にいばり) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
に対して、老人が、
かがなべて 夜には九夜 日には十日を
と応えたことにあるとされています。「連歌」の成り立ちとして、奈良時代に原型ができ、平安時代半ばに長短2句(575に77)を唱和する短連歌が流行したとされており、つまり、和歌(57577)が最初にあり、そこから上の句575に下の句77をつける連歌が生まれたという流れが文芸史では語られています。
これまで、このことについて特に疑問が持たれずに来ましたが、私(ライトハイク協会代表)は、逆ではないかと考えています。最初にあったのは、二人で唱和する「和歌」のかたち。それが、一人で詠む「和歌」になったのではないか。さらにそこから連歌が流行したのは、いわゆる、リバイバル。原点回帰である気がしてなりません。
そう考える根拠は「歌垣(うたがき、かがい)」の存在です。
日本の歌(詩)の原点は、誰かの言葉に、誰かが言葉を結ぶ「和歌(和える歌)」だったのではないか。そう考えています。
ですから、連歌と大喜利は、同じ源だと感じるのです。
つまり、大喜利もまた、詩のひとつ。
ライトハイク協会が「ライトハイク」という<上下文字数揃え二行詩>を始めましたが、それは、雑俳のひとつに過ぎず、先人がやってきたことの、時代に合わせた単なるアレンジに過ぎません。
唯一、ライトハイク協会に手柄があるとするならば「大喜利」を「詩」と言い換えたこと。
それには、上記で述べたような考えがあるからです。
さて、今回の彩瀬さんの佳句。
見かけによらずこう見えて
という桃花師匠のお題(上の句)は、いかにも、大喜利の「お題」に出てきそうなフレーズです。
本能として<笑い>に持っていきたくなる。
笑いに持っていって悪いわけではありません。心に何も響かないより、心を少しでもくすぐることができたら、それは立派な詩です。ですが、せっかく大喜利を詩と言い換えたのですから、その先を目指してほしいという思いもあります。
大喜利を詩と言い換えたことで
1. 笑いのその先に挑める
2. 笑わせなくてもいい(もちろん、笑わせてもいい)
このふたつのメリットが生まれました。参加しやすくなると同時に、実は難易度も上がるという、二極調和となったのです。
彩瀬さんの
ぼんやりしているだけです
は、その模範例のように感じます。
少しおかしくて、余韻がある。
笑いのその先、そこに、詩があるのです。


