Pick up 佳句

Pick up 佳句

投句された中より、きらりと光る佳句を紹介して参ります。

 

アダムとイブの子孫でして リスコ

 

お題の上の句と並べます。

 

恥ずかしながらこのわたし

アダムとイブの子孫でして

 

今月のお題は月亭方正師匠から。これまで色々な落語の師匠方からお題をいただいて参りましたが上方の師匠は方正師匠が初となります。上方落語と江戸落語、どちらもそれぞれの魅力があります。どちらも楽しめることに喜びを感じます。

その方正師匠からお題を頂いた際には

恥ずかしながら

このわたし

と二行に分かれていました。「わたし」が平仮名であったところもポイントです。

まずはそのお題となる「上の句」を見てみます。

この「まずは上の句を見る」ということが、詩作において、とりわけライトハイクにとっては、とても大事です。

もう、「バッカじゃないの」くらい、見てみる。「想見(そうけん)」という言葉があります。心の目で見ることです。

恥ずかしながらこのわたし

と一行にさせていただきましたが、なぜ、方正師匠は「恥ずかしながら」に「このわたし」を付けたのか。その辺りにも思いを馳せます。いわゆる七五調で、日本語には、この7音と5音が繋がることに安心感があります。気持ち良さというか、要は「しっくりくる」んですね。方正師匠も、枕詞のようにスッと口に出てきたんだと察します。「このわたし」が。

さて、先に書いた「わたし」が平仮名であること。ここはもちろん「私」と漢字で書くことも可能です。でも、「私」と書くと何が起こるか。「わたくし」とも読めるわけです。

恥ずかしながらこの私(わたくし)

先に書いたように七五がしっくりくるので、大体の人は「この私(わたし)」と読むはずなんですが、「わたくし」と読む人は、ゼロではない。このゼロではないがとても大きいです。ただ今回は平仮名で「わたし」としか読めないようになりました。ちなみに「タワシ」ではありません。このように空目することも、想像力をくすぐるきっかけになります。

・・・これまで書いたこと、どうでもいいようにうつると思いますが、詩作には大事です。数学者が「数字」を大切に扱うように、ひとつの数字で結果が変わるように、詩人は「言葉」を一字一句一行、余白も大事にする態度が必要だと思うのです。

 

この上の句(お題)に、どう結べば、詩が誕生するか。

私は、思うのです。

それが詩であるかどうかをまず最初に決めるのは「面白い、面白くない」ではないかと。

つまり、「恥ずかしながらこのわたし 数学が大の苦手なんですよ」と、当たり前のことを繋げるとそこには詩は生まれない。ただの会話です。正岡子規はこれを「月並み」と言って、今でもその言葉は残っています。ちなみに、この「月並み」は、MOONの月ではなくて、「毎月毎月、月の定例で変わり映えのしないもの」という、退屈なことを言ったものです。「面白くない」ものに、詩はありません。詩を作るためには、まずは、面白いものにしないといけません。なお、この「面白い」は何も「可笑しい」に限ったわけではありません。別に笑わせなくてもいいのです。

面白い」を辞書で引いてみましょう。

魅力ある物事に心が明るみ、目の前がぱっとひらけて晴ればれした状態。

これです。もちろん、悲しい歌の詩だってあるわけで、全部が全部、詩が面白いわけではありませんが、「面白い」を「月並みでないこと」と言い換えれば、すべての詩に適合できるのではないでしょうか。

・・・で、このリスコさんの下の句。本当に面白い!

この句の「すごみ」は

「わたし」の対象が、作者の方正師匠、リスコさんだけでなく、あなたでも私でもあること。

そう、この地球上の人間すべてを対象にしていること。

すごい、面白いです。

まさに、魅力ある物事に心が明るみ、目の前がぱっとひらけて晴ればれしました。


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