投句された中より、きらりと光る佳句を紹介して参ります。
合わせ鏡を亡母と見紛う モサク
お題の上の句と並べます。
びっくりして振り向いた
合わせ鏡を亡母と見紛う
ライトハイクは言葉のあやとり。
上の句だけでは、なんでもないフレーズですが、そこに誰かのフレーズを結ぶことで「詩」が生まれます。
ここでいう「詩」は、心を動かす何かです。
「びっくりして振り向いた」のフレーズだけでは心は動きませんが、ひとつ、確かなことがあります。それは、この言葉の主が「びっくり」つまり、心が動いていること。これがヒント、呼び水、糸口になります。
上の句は、詩を紡ぎ出す、糸口です。
上の句に、言葉が呼ばれます。
合わせ鏡を亡母と見紛う(みまがう)
この言葉(フレーズ)は、言葉の海の、かなり深いところから出てきたなと感じました。なかなか出てくるものではありません。見た瞬間、たしかに心が動かされました。
このように心を動かす、結ぶ言葉を見つけることはかなり難しいです。でも、何度もチャレンジすると深く潜れるように、いつか辿り着けるものでもあります。たくさんの人でチャレンジすると、その可能性は高まります。
詠む句、作る詩、すべてが心を動かすものができる俳人、歌人、詩人はいません。一方、小学生がものすごい詩を作ることがあります。
まぐれ当たりかもしれません。
いいえ、ある意味、それはとても「詩的」なことです。こんなに純粋な詩はありません。
「数打ちゃ当たる」は、詩作の態度として褒められたものではないかもしれません。でも、打たなきゃ当たらない。一球に全集中してホームランを打つなんて、そもそも無理なんです。
心は動かすことはできなくても、心をくすぐることはできます。その時、確かに、心が動くのですから。難しく考えず、まずは、読んだ人を笑わせようという軽い気持ちで、結んでください。送りバントをする気持ちで。まずはバッターボックスに入ることが大事。
ねえムーミン。こっち向いて、恥ずかしがらないで。という歌のように、、、
恥ずかしがらないで、とにかく、たくさんの人に言葉を結んでほしい。
ライトハイクはその思いで、はじまりました。
びっくりして振り向いた
ムーミンがこっち向いた
詩は、詩人のものだけではありません。