結ぶ言葉 ライトハイク

結ぶ言葉 ライトハイク

2025年2月17日にnoteにアップした文章ですが、今もこれからも変わらない「ライトハイク」への思いなので、改めてここに記します。

 

「結ぶ言葉 ライトハイク」の形は、はじめ、俳諧を現代にという発想から始まりました。令和の時代に万句合(まんくあわせ)ができないか。できたら楽しいだろうな。そんな単純な考えからです。

ところが、この「誰かの言葉に自分の言葉を結ぶ」という形は、俳諧よりもずっと前、「和歌」に始まることが分かりました。和える歌。唱和する歌です。さらに言えば、「歌垣」に辿り着きます。

歌垣はこの日本も含む、アジアの一部の地域に見られる習慣ということを知りました。誰かのフレーズに別の誰かがそれに応えるフレーズを合わせる。現代の大喜利にも通じる、言葉と言葉を結ぶ文化です。

欧米では、叙事詩からそうであったように、「詩」は基本一人で創作するものです。「和」の国・日本では、複数人で歌を詠むことから始まっているのです。その後、日本でも欧米に倣い一人で詠む形が基本となりましたが、「連歌(連句)」という形は残りました。

私は、この、複数人で歌(詩)を詠むことから始まった日本のユニークな文化が愛おしくて仕方ありません。

ここで、突然、話が飛びます。

「宇宙」はまだまだ分からないことばかりです。この世界の物の理(ことわり)を解く学問、物理をもってしても、分かっていないことの方が多い。100年、200年、1000年経てば、少しは分かってくるところもあるかもしれませんが「全てが分かる」ことは永遠にないのではないでしょうか。

そんな「けして分からない世界」で、なんとなく「分かっている」ことがあります。

それは、突き詰めれば、理(ことわり)は、ひとつということ。

つまり、何事も、どんどんどんどん小さくしていったら(元に戻っていけば)答えは、真理は、ひとつであるということです。

無から宇宙が始まったと言います。
遡っていけば、必ず1点、ひとつに集約するはずです。

つまり。
全て、通じている。
全て、結ばれている。
そう、感じるのです。


この文章の前半と後半、全然、違うことを書いているようですが、私には、通じているのです。私が書いているから当たり前ではありますが、このことにも、まさに、この世界の理(ことわり)を感じます。

全く違う世界線が、実は通じている。結ばれている。

これを詩と呼ぶのではないか。

全てが通じている中でも、とりわけ「もつれ」ているペアがあります。
それは、元々は、一緒だったんではないか。
どこかで別れてしまって、別々の道を行っていたのではないか。
詩作とは、この広大な宇宙の中で、
その片割れの言葉を、見つけ出すことではないか。
結び直すことではないか。

たくさん実験をすれば見えてくる、ベルの不等式のように
たくさん言葉を探せば、詩が、見えてくるのだと感じています。

文芸だと思っていたものが、科学と通じているかもしれない。
AIは、人を感動させる詩を歌を芸術を、いつか作れるようになるかもしれない。

でも、「人とAI」「AIとAI」「人と人」 ならば
「人と人」が最強なんだと、信じたい。

人生とは、
人が、自分と(見えない力で)もつれている人を、見つけることではないでしょうか。
人と人を結ぶことではないでしょうか。

これを詩と呼ぶのではないでしょうか。


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