投句された中より、きらりと光る佳句を紹介して参ります。
司書のあなたと話すきっかけ むねすけ
お題の上の句と並べます。
開いたページにあった落書き
司書のあなたと話すきっかけ
先日、弊会の理事である、林家たい平師匠とご一緒する会があり、せっかくなので、お題としての上の句を師匠に出していただきました。
その際、師匠からは「捨ててよって言ったじゃない」というお題(上の句)が出てきて、この出題意図を師匠ご自身がお話しされる際に「リズム(音感)がいいから」という説明がありました。
確かに、「捨ててよって、言ったじゃない!」
小さい「っ」や、読点「、」を打ったように、1フレーズとして続けて口にするとき、耳心地よく流れます。
詩歌は「韻文」と言われます。
特に日本の短詩は、「575」と「77」という、日本語の特徴・性格による「リズム(韻律)」が存在します。この音の器に<言葉>を入れ込むことで、自動的に韻文となります。
我々は、(遺伝子的にも?)このリズムに慣れていることもあり、標語やキャッチコピーなどにも多用されるリズムです。
私の敬愛する俳人さんは「俳句は、575だから、現代まで生き残った」とおっしゃっていました。確かに、この韻律がなければ、早々に消えてしまったかもしれません。
他の国の韻文も、それぞれの言語の特徴に依る「押韻」の方法があります。
詩にとって、リズム(韻律)は、やはり、大事なものであることは間違いありません。
ただ、私は少し、異を唱えたい。
リズムを重視するあまり、時に、本末転倒になったりしないか。
私は詩歌にとって、一番大事なものは「ポエジー(詩情)」だと考えています。
これに異を唱える方はいないはず。
詩歌の核は「ポエジー」
ただ、そのポエジーより、リズムを優先させる例、結構、あります。
これは現代の「音楽」(ポップス)によく見受けられる形で、ある意味それは仕方のないことだと私も理解はしています。音楽にとって一番大事なのは「リズム」ですから。
詩にとって一番大事なものが「ポエジー」であっても、音楽にとって優先されるのは「リズム」です。【歌詞】という特別な環境下では、ポエジーは二の次ということを甘んじて受け入れなければいけません。
もちろん、ポエジーとリズム、両方ある【歌詞】を、私は、最強であり、理想だと考えています。それはとても難しいのですが、難しいからこそ、挑みたいところではあります。
さて、日本の短詩には575・77というリズムがあると申し上げましたが、実は、575・77の77にも、韻律の決まりがあるのをご存知でしょうか。
ただし、これは主に「連句(連歌)」の世界の決まりで、短歌の世界ではそこまで重きは置かれていません。逆に、川柳の世界では、馴染みある575(長句)だけではなく77(短句)という形も伝統的にありますので、この77 (短句)にも適用される韻律ルールです。
それは、7音のうち、
・4音+3音
・2音+5音
となるのを避けるというルールです。
たとえば、「死んでもいいわ」という7音の結句があります。
死んでも/いいわ
4音+3音になりますね。四三(しさん)はNGなのです。
ルールに則れば
「いいわ死んでも」
としなければなりません。
ただこれは、倒置法的になり、作者の意図するところとズレが生じることもあり、こう直せば良いというわけではないと私は思っています。
あくまで、古来のルールに則ればの話。
この、短句(7音+7音)の存在。十四字詩と呼ばれる場合もあります。
実は、ライトハイク誕生の元になったひとつでもあります。
(もうひとつの元は、Parallel Universe)
この二行詩の形が、私にはとても洗練されて見えたのです。
ライトハイクは文字数揃えのルールで、音数揃えではないのですが
ライトハイクの究極形は・・・(「武玉川」より)
赤子は膳で
見えぬ正月
のように、音でも文字数でも、揃っている7音7音の二行詩だと感じます。
それはやはり詩歌ですから、「韻律」への憧れがどうしてもある。
ただ、そこをこだわると本当に難しいので、ライトハイクでは誰でも楽しめることを大事として音は切り捨てました。
それでも。
たい平師匠の「リズム(音感)がいいから」という発言で、気づきました。
ライトハイク(上下文字数揃え)というこの「器」は、音にこだわる人も、使える器であるということ。
こだわる人は、こだわれる。
現に、たい平師匠は上の句で、音にこだわられました。
それに応えて、下の句も、音感のよいフレーズを結ぶこともできる。
ただし、やはり優先するはポエジーです。
両立させることは、とても難しいことですが、けして不可能ではありません。
手前味噌ですが、それだけこのライトハイクという自由詩の「器」は、大きく深いとも言えます。
ここで面白いのは、たい平師匠の「捨ててよって言ったじゃない」は、これまで書いてきた、575や77、四三などの、古来の韻律ルールとは異なるということ。それでいて、現代を生きる我々には耳心地がよく響く。別に<定型>でなければ韻文にはなれないわけではなく、それが韻文かどうかは、その歌を声にする人の体感です。
これも、詩は、人間がAIより、まだまだ優位だと思う要素でもあります。
前置きがとても長くなりました。
ただここまでで、気づかれた方は気づいていただけたと思います。
むねすけさんの投句された下の句
司書のあなたと話すきっかけ
司書のあなたと 7音(そして、3音+4音で四三ではない)
話すきっかけ 7音(同じく、3音+4音で四三ではない)
完璧な、77です。
ポエジーがあり、リズムもある。
完璧な、結ぶ言葉です。
ただ。
せっかく四三を避けているので音読の際は、77を意識された読み方で良いと考えますが
兼好師匠の上の句と合わせて、(あくまで)私の好みで、整書(清書)すると以下が私は好きです。リズムは悪くなるかもしれませんが、ポエジーが引き立つと私は思うし、それが自由詩だと、私は信じています。
開いたページにあった
落書き
司書のあなたと話す
きっかけ


